松のことは松に聞け

おはようございます。貴重な三連休2日目朝。昨日から頭をひねっている中学3年最後の国語授業への展開について、今朝も引き続きやっています。哲学者 鷲田清一さんの『誰かの代わりに』という論説文と、新川和江さんの『わたしを束ねないで』を 授業展開していくイメージづくりをやっています。国語科授業で有名な先生方の素晴らしい授業を参考に、私なりにできる限りの 心に残る授業にしたいと思います。最後は生徒のオリジナル の詩をを作って発表して締めくくるという べたな感じを考えていますが、それまでの「対話的な学び」をより充実したに授業にしたいと思っています。このタイミングでこの教材が置かれているということ、これにもまた深い意味を感じずにはいられません。自立する ということは 独立する(独り立ち)ということではなく、他人との関わり合い 人と人が支えあう協働の中で 自分を確立すること。一般的に言う「自立」とはむしろ反対のインターディペンデンス(支え合い)として捉える必要がある と筆者は述べています。

 
私は このように思いがけけない素晴らしいめぐりあわせのおかげで、知らなかったことをたくさん知ることができて ただただ感謝してます。何に感謝するかというと、それは 運 でしょうか。運を辞書で調べると 吉凶問わない巡り合わせ、ことのなりゆき といったことから始まりますが、その中に 幸運 良いめぐりあわせ もあります。中国の 洪自誠さんは幸せと禍は表裏一体のものだといっています。良い運が巡っている時こそ、自らを律して 気を引き締めなければなりません。松のことは松に聞け、  先哲の良い書物をよみ、自己の考えを広げ深める 対話的な学びを実践していきたいと思っています。