すべてを失う覚悟がなければ手に入れられないものがある。

いつだったかの、尊敬するイチロー氏のことば。

すべてを失う覚悟がなければ手に入れられないものがある。
今この言葉の意味を、実体感(こんな言葉あるのかな)している。
 
私は大学の卒業式の10日後に結婚式を挙げたものだから、いわゆる一番働けるときに
周囲がみな就職するときに家庭に入った。
そのため、組織の中でフルタイムで働くという機会にほとんど恵まれなった。
もちろんアルバイト的なことはあったにしても。
本格的に朝から晩まで組織の一員として働くことはなかった。
 
結婚満26年、一つのくぎりをつけたくて 京都の自宅を飛び出した。
自営でやっていた書塾もたたんだ。20人ほどの生徒さんに突然の「閉室のおしらせ」を出した。
それが昨年の1月10日のことだ。
それから一週間後の1月17日に母親が他界した。
自分のこれまでを総括したかった。
自分が一人の人間として、未知の土地でどこまで 何ができるだろうか と。
主人の力 叔父の力 家の名前 実家の助け・・・それらの全くない知らない町で。
 
もちろん主人のおかげで家が建ち、その建築関係のつながりがで
たよりになる人間関係もできたわけだが。
 
いろんなことがあった。
3月末に移住して、4月17日に 京都から連れてきたダルメシアン
事件を起こし、4月24日に連れてきたウサギが亡くなった。
4月末に簡易宿泊施設をチェックアウトして地域内の空き一軒家を借りた。5月11日に建前。
遅れに遅れた基礎工事に合わせての建前は、連休明けとなり 本当に家ができるのか?住めるのか?
という疑念にさいなまれつつ、大工さんの三度三度を宿泊施設に運んだ日々。
どうにかこうにか7月1日に女子二人で引っ越しした蒸し暑い日。
半月の間は手違いでシステムバスが取り付けられなくて空き家にシャワーを借りに行った日々。
 
みるみる痩せてきて、人生初の45キログラムの体重。
病気の発覚。
娘の病院のこと、自分の病気からの不安。
結局、負け戦 ただの悪あがき だったのかなぁ。ははは・・・帰ろう。京都に。
と 何もかもなくすことへの覚悟が整ったときに
1本の電話が来た。
想いもかけない仕事のオファーだった。
しかし一度も効力を発効したことのない 教員免許。
そしてH26年度末に更新期限を過ぎていた ということを初めて知った。
所定の大学の更新時講習を受けなければならない ということも初めて知った。
 
いろんなことを知った1年だった。
知らないことがこんなにもたくさんあったのだということに気づいた1年だった。
まず単純なことから言えば、本籍地ではない他府県の居住地では 戸籍にかかわる証明書を
取ることができないとうこと。
身分証明書という書類のあること。
 
知らないってすごい。そして、こんな歳になって知ることの多さに驚いた。
 
今はとりあえず めぐり逢いの感謝 人に信頼されたり信頼したりする 
目には見えないモノの力強さに 感動する。
娘と娘のお友達、PTAの方々、給食の調理員のみなさん、中学校の職員の皆さん。
私を見出してくれた方々に 深く感謝してやまない。