概ね教科書終了。

1年3年は早々と教科書を終了しており、余裕をもって授業ができていた。2年は遅々としていたが、ようやく昨日 最後の作品を終了した。残りの何時間化は、1年間の授業を振り返る作業に使う。おおよそ復習に充てるつもりでいるのだが、あと何時間授業できるのかと考えたら片手の指で十分なほどだ。しかし、あっという間の2か月だった。こんなに集中して勉強したのは久しぶりだったし、自分のキャパシティーが測れたのと、この仕事はけっこう自分に向いているのかも、と思えたことはうれしかった。これから先、夫婦の歳の差の激しいうちの場合、仕事がなければやはり不安だ。仕事を持つことができたことと、これからの可能性の拡がりに感謝してやまない。

帰京(フライト)まであと11日となった。しみじみ、「もったいないなぁ」と思いながらこれを書いている。せっかく家が建って、やっとこさ暮らせるようになったのに。仕事も見つかったのに。でも、娘の今後を考えたら、「いったん帰ろう。」これも、正しい選択なのだ、何年後かを考えたときにはそう思う。強さを身につけなければ。私も、娘も。

勤務校の卒業式を終えて。

勤務校の卒業式が終わりました。猛烈に忙しい123月は 残すところ2週間となりました。中学3年生はもういないけれど、残りの2週間を充実した思い出深い授業にしたいなぁと思っています。どうしても日本語(日本の国語)に苦手意識をある生徒に対して、ちょっとだけ勉強してみたいなぁと思ってもらえるような教員(人間)でなければならないと猛烈に感じています。それらの生徒にとって古典や漢文(中国の漢詩)の授業は苦悩の日々でしょう。にほんごであそぼう を観てくださいって言ったって伝わるものではないようです。悩ましい残りの二週間です。

 さて、私たちが島を離れる日も近づいており、いろいろな事務手続きに代休の昨日はくたくたに疲れました。社会保険の資格喪失証明書がなければ、国民健康保険に加入できないので、その手続は島を離れてからするのか離れる前にしておくのか。そういったややこしいことがいっぱいあります。3月31日たった一日分のために国保税は発生します。たいへんややこしいです。転入した自治体に加入するわけですが、ほんとうにそういったことが大変なので、もうずっとずっとここに居たい気分ですが、そうもいかず。猫たちにとってもここはたいへん暮らしやすい良いところです。動物いっぱいゆったり流れる時間。人はやさしいし 離れがたい。親切にしてくださった方々、温かい声をかけてくださった方々との別れはつらく 心苦しいです。 しかし、ここを離れることでさらにここが好きになるだろうし、必ず帰ってきます!という気持ちを強く持って、教員修行のために帰るのだと、心を鬼にして帰ります。茨木のり子の 「自分の感受性くらい」を胸に。

いよいよクライマックス週。

今週で中学3年生は義務教育最後の週となります。中学校ではまさに大団円 クライマックス週です。(クリスマスに響きが似ているなぁ。) 私はとにもかくにも体力を保持するために早寝早起きの生活をして、無理にでもガンガン食べる。これは体にとても良いようです。しかしだんだん暑さが増してきていて、甲状腺機能亢進症にはつらい日々になってきています。しか~し、そうもいっていられないので、もう何が何でも乗り切るしかない。正味もうあと3週間です。今週終われば2週間。勉強バリバリしないといけないのは2週間くらいです。もうすぐゴール。もう見えてきています。

 
 さて。私のうちは、引っ越しをする者が4人おりまして。こないだも書いたかな、長男は名古屋から長野 次男は京都市内から福井市内へ。私と娘は八重山の離島から京都府は北部へ。まあ、自分のことだけ考えていられたらどんだけ楽だろうと思います。しかし、長男も次男も大切な門出なので、親としては最後の世話焼きをしなければなりません。ていうか、本当は業者さんに頼むつもりだったのですが、名古屋長野 間たった一人暮らしなのに18万から30万と言われ、仕方なくオトンに行ってもらうことにしました。私は次男を福井市内まで荷物と一緒に運ぼうと思っていますが、過密スケジュールで死にそうです。だいたい、車両運搬するR海運会社の船の運航が、低気圧のせいかなにかでダイヤが乱れ切っているらしい。船が遅れたら車両も遅れてしまうので、生活に困るというわけです。そうなったら、次男の引っ越しにレンタカーを借りなければならなくなるし、たいへん厄介です。正直、こちらの仕事がぎりぎりまであることもつらいです。しかし引き受けた以上仕方ありません。やるだけのことはやり切って、京都へ帰りたいです。
 
誰か私の代わりに次男を福井市内へ連れて行ってくれないかなぁ~と、もっか空想中。

Happy birthday to me!!

今日は49回目の誕生日でした。

来年は50だ~!!というクライシスな歳です。
あさ出勤すると、職員室に子供たちがめいめいに「〇〇〇せんせいおたんじょうびおめでとうございます!!」って言いに来てくれるのです。小学生も中学生もです。うれしいですね。なんていうんでしょう、人のお誕生日を心から言葉を発して祝う この島の文化です。人生初じゃないかと思います。こんなにたくさんの人から(子供から大人まで)誕生日のお祝いの言葉をかけてもらったのは。給食の時間は給食委員の子供たち生徒たちが ピアニカで演奏してくれて、学校中の職員児童生徒がハッピーバースデイを歌ってくれました。
まじめに、うれしかったです。
今日から3月。いよいよ年度のクライマックスですね。島を離れるのはさみしいけど、いっぱいいい思い出を胸に抱えて帰ろう。そしてまた来よう。

久々ゆっくりと過ごした週末でした。

昨日はお天気のせいかドヨ~ンとした体調の一日でしたが、今日は朝から教材研究をして、午後はお菓子を作ったり、途中まで観てオアズケだった『プラダを着た悪魔』を最後まで観ました。☆☆☆☆以上の映画でした。前から気になってはいたものの、なかなか見ることができずにいた作品の一つです。アンディのひたむきな姿が素敵だったし、ファッションの勉強にもなりました。私はファッションにお金をかけない人間ですが、服装にお金をかけてファッションセンスを磨いている人を尊敬します。私も何年かに一度は高価な服を着る機会はありますが、やはり気分が高揚しますし、服に負けないように中身もシャキッ!とします。映画の中で、ファッションはアイデンティティの象徴なのだと言っていました。なるほど。

 
 仕事の方は年度のクライマックスで、とにかく忙しく 私のような新人がそこにいることがおこがましいような状態です。できるだけ皆さんに迷惑かけないように 課せられた責務を果たしていこうと努めてはいますが、稀に(というか無知が原因で)とんだへまをやらかしてしまいます。それをいつまでも引きずっているのはよくないことですが、忘れてしまうのはもっと良くないことです。それを踏まえて 良くなって行かなくては。次には絶対失敗しない と心に誓い 苦言を受けることを覚悟で明日からまた出勤しなければなりません。
 今日は早々に夕飯を食べて眠ろうと思います。後は野となれ山となれ。良いこともあれば悪いこともある。幸と禍は一体です。光が当たれば影もできる。光が強く当たれば影も濃くなります。いい時こそ、自らを律して 節度を忘れずに暮らさなければなりません。
 
 今日は久しぶりに次男と連絡を取り合えてうれしかったです。3月末は家族全員大移動。長男は名古屋から長野市に。次男は京都市から福井市に。私と娘とネコたちは沖縄県離島I市から京都へ。まさに大移動。とりあえずの荷物を詰め込んで 車を港まで搬入すれば、あとは猫たちを娘と一緒に連れていざ関空へ。それまでに準備期間が一切なく、大変厳しいスケジュールではありますが、お別れ会的なものはとにかくほどほどに切り上げて さっさと家に帰って 京都への帰り支度にいそしむしかありません。にほんごであそぼう の うなりやべべんさんがうたう『雲の信号』宮沢賢治 をきくと今の自分がちょっと情けなくなります。しかし、それをわかったうえでやっているのと 気づかないまま一生を終えるのとではわけが違うと自分に言い聞かせています。 

プレミアムフライデー

昨日はプレミアムフライデーでした。私の場合いつもと変わらず、5時には退勤しました。金曜日は激務と激疲れの水曜日や木曜日に比べ、心に余裕が生まれます。無茶苦茶忙しい日課ではないからです。しかし、学校というところは出勤したら退勤するまでほとんど休憩時間はありません。なにがしかの仕事があります。朝のスタディタイムだったり美化作業だったり給食準備だったり午後の清掃だったり・・・。しかしながら、担当教科の授業が入っていないときは 教材研究をしながら座っていられます。何もしていないぼんやり時間というのはありません。あっという間の一日が過ぎていきます。

さてさて、
先日からの『誰かの代わりに』鷲田清一 の授業をなんとか自分なりに締めくくりました。本当は一生かかっても締めくくることなどできないと思っています。最後は生徒の皆さんに問題を投げかける形で作文を書いていただく宿題を出し、終わりました。骨髄性白血病のいとこの次女さんの話をしました。昨年11月半ばからずっと意識がありません。気管挿管したままICUで病魔と闘っています。家族さえ、一日30分しか面会できないのだそうです。彼女を支える家族 を支えるのは彼女自身の存在だと思います。かけがえのない彼女自身がそこに今を生き続けることが 家族を支えています。そしてその彼女を支えているのは家族であり医療現場であり、彼女自身の肉体です。精神は体に宿るものですから。もう哲学的になりすぎて悩ましいのですが、本当にあるべき教育の姿というのは、きれいごとを並べ立てるところ ではないと思っています。
現実には、もっと真摯に向き合って、けっして投げ出してはいけない問題を抱えた生徒と真剣に寄り添い続けることが必要なのに、どんどん職員の異動があり生徒のための教育ではなく 職員の生活のための働きの場 となっています。それはそれで大切なことではありますが、理想と現実との折り合いをつけるには きれいごとを並べてより明るく振舞い快活に異動していく というのが教育職員のベストな姿((笑))なんだろうなと、周囲を見て感じています。
いろんなことがあり、いろんな人がいて、いろんな人間模様があります。子供はけなげで、真剣に自分と向き合い生きています。子供は親を選べません。さまざまな運命を背負って生まれてきたのが子供です。親は真摯にそれを子供と寄り添って考え、自らを見つめながら今日より明日がよりよくなるように考えなければならないと思っています。素人教員のたわごとでした。

やるべきことがわかってきた。

学校現場でフルタイム働くようになってはや23日が経過。だいぶやるべき仕事がわかってきた。校務分掌で、じぶんが暗黙に減免されている仕事は置いとくとして、教科の仕事についてはだいたいわかってきた。一番難しいのは評価だと思う。自分が教えたことがどれだけ理解されているか知りたいということもあるけれども、評価となると、そのひとのこれからにかかわってくることだし、非常に難しい。

だけれども、学校現場って超忙しいけれども、時間がすぐに過ぎていくから働く場としてはいいなぁと思う。このように働けるところに巡り合えたこと、感謝しかない。そして、自分が今までやってきたことがすべて役に立ってくるのだということがわかる。「こんなことがこれからなんのやくにたつのかなぁ」なって思いながら当時やっていたことが結構役に立っている。生きていくうえで、今までやってきたことに無駄なことなんて一つもないということだ。この気づきはすごい。と感慨にふけっている。