プレミアムフライデー

昨日はプレミアムフライデーでした。私の場合いつもと変わらず、5時には退勤しました。金曜日は激務と激疲れの水曜日や木曜日に比べ、心に余裕が生まれます。無茶苦茶忙しい日課ではないからです。しかし、学校というところは出勤したら退勤するまでほとんど休憩時間はありません。なにがしかの仕事があります。朝のスタディタイムだったり美化作業だったり給食準備だったり午後の清掃だったり・・・。しかしながら、担当教科の授業が入っていないときは 教材研究をしながら座っていられます。何もしていないぼんやり時間というのはありません。あっという間の一日が過ぎていきます。

さてさて、
先日からの『誰かの代わりに』鷲田清一 の授業をなんとか自分なりに締めくくりました。本当は一生かかっても締めくくることなどできないと思っています。最後は生徒の皆さんに問題を投げかける形で作文を書いていただく宿題を出し、終わりました。骨髄性白血病のいとこの次女さんの話をしました。昨年11月半ばからずっと意識がありません。気管挿管したままICUで病魔と闘っています。家族さえ、一日30分しか面会できないのだそうです。彼女を支える家族 を支えるのは彼女自身の存在だと思います。かけがえのない彼女自身がそこに今を生き続けることが 家族を支えています。そしてその彼女を支えているのは家族であり医療現場であり、彼女自身の肉体です。精神は体に宿るものですから。もう哲学的になりすぎて悩ましいのですが、本当にあるべき教育の姿というのは、きれいごとを並べ立てるところ ではないと思っています。
現実には、もっと真摯に向き合って、けっして投げ出してはいけない問題を抱えた生徒と真剣に寄り添い続けることが必要なのに、どんどん職員の異動があり生徒のための教育ではなく 職員の生活のための働きの場 となっています。それはそれで大切なことではありますが、理想と現実との折り合いをつけるには きれいごとを並べてより明るく振舞い快活に異動していく というのが教育職員のベストな姿((笑))なんだろうなと、周囲を見て感じています。
いろんなことがあり、いろんな人がいて、いろんな人間模様があります。子供はけなげで、真剣に自分と向き合い生きています。子供は親を選べません。さまざまな運命を背負って生まれてきたのが子供です。親は真摯にそれを子供と寄り添って考え、自らを見つめながら今日より明日がよりよくなるように考えなければならないと思っています。素人教員のたわごとでした。